尾崎世界観が語る無観客ライブの怖さとチケットプレミアの矛盾

無観客ライブで感じた孤独感や、ライブチケットのプレミアに隠された矛盾。尾崎世界観さんが語る、コロナ禍で見つめ直された音楽とライブの価値とは何か?

この記事では、尾崎さんの体験を通じて、アーティストと観客の関係性や、ライブの持つ本質的な意味について詳しく掘り下げていきます。さらに、音楽業界の今後についても考察します。

無観客ライブの異様な怖さとは?尾崎世界観が感じたこと

無観客ライブというのは、観客がいない状態で行われるライブです。アーティストにとって、目の前に観客がいないままパフォーマンスをするというのは、とても大きな挑戦であることは間違いありません。尾崎世界観さんも、自身が経験した無観客ライブについて「一方的に差し出す怖さ」を感じたと語っています。通常のライブでは、観客がリアクションを返してくれることで、アーティストもそのエネルギーを感じ取ることができます。しかし、無観客ライブではそのやり取りがありません。それが彼にとって、まるで監視カメラに見られているかのような異様な感覚をもたらしたのです。

ライブは、アーティストと観客の間でエネルギーが交換される場所とも言えます。観客が感動や興奮を返してくれることで、アーティストもさらに力を発揮できるのです。しかし、無観客ライブではその反応が一切なく、尾崎さんも「自分を見つめる無数の監視カメラによって、こっちの何かが吸い取られていくような感じがした」と表現していました。この状況が、アーティストとしての「人間らしさ」を感じさせなくする要因だったのでしょう。

無観客ライブの場面を想像してみてください。広い会場で、アーティストは一人で演奏し、画面越しにいるはずの観客の感動や反応は全く感じられない。ただ自分だけがエネルギーを差し出しているような感覚に襲われます。これが尾崎さんにとっては、非常に孤独で、恐ろしい体験だったのです。

尾崎さんにとって、ライブは「人間としての自分を差し出す場」でもあります。それが無観客という状況では成立せず、一方的にエネルギーを消費してしまう。それは、アーティストにとって非常に怖いことだったのでしょう。この経験を通じて、彼は改めて「ライブは観客と共に作り上げるものだ」ということを感じたのかもしれません。

ライブチケットのプレミアの矛盾、バズる仕掛けの真相

ライブチケットにプレミアがつく現象、特にアーティストとしてはうれしいことのように感じられますよね。「求めてもらえている証拠」として、尾崎世界観さんも転売が起こることに一種の安心感を覚えると話しています。しかし、実際にそのプレミアがつく過程や理由を深掘りすると、そこには大きな矛盾があることに気づかされます。

プレミアがつくチケットの価値は、本来そのアーティストの音楽やライブパフォーマンスに基づくものです。しかし、SNSでの転売や【求】の需要が高まることで、音楽そのものとは無関係な「バズる仕掛け」が働くことも少なくありません。尾崎さんも、プレミアがついたチケットが「バズるための道具」になってしまっている現実に気づき、それが本当に望ましいのかと疑問を感じたのです。

例えば、ライブのチケットが転売によって高騰し、その価格があまりにも高くなると、今度はその高額なチケットを手に入れること自体が「目的」になってしまうことがあります。本来であれば、アーティストのライブ体験を求めていたはずが、プレミアのついたチケットを手に入れることがステータスになり、肝心の音楽そのものが二の次になってしまう。尾崎さんが「無観客ライブ」をテーマに小説を書くきっかけの一つも、このプレミアの矛盾に対する疑問だったのかもしれません。

プレミアがつくことで「感動するライブであるはずだ」と期待されてしまうのも、また一つの問題です。通常の流れであれば、良いライブが評価されて人気が高まり、チケットにプレミアがつくという順序ですが、時にはその逆が起こり得ます。つまり、チケットのプレミア価格が「このライブは素晴らしいに違いない」と、あらかじめ観客に思わせる要因になってしまうのです。

音楽そのものの価値とは関係ない別の価値が、肥大化してしまう。これが尾崎さんが描いた「転の声」の中でのテーマの一つでもあり、その現象に対する皮肉が込められているのです。

コロナ禍で変わったライブの価値、アーティストの未来は?

コロナ禍によって音楽業界は大きな影響を受け、特にライブというアーティストとファンが直接触れ合う機会が一時的に失われました。尾崎世界観さんも、このコロナ禍でライブが止まったことが、音楽活動を振り返る良い機会になったと語っています。ライブが当たり前のように続いていた日常から一転、突然すべてが中断される中で、尾崎さんは「振り出しに戻ったようだ」と感じたそうです。これが、アーティストとしての価値を再定義する重要なきっかけになりました。

尾崎さんは「ライブシーンが当たり前に盛り上がっていた時期にうまく乗っかっていた」と自覚していますが、コロナによってそのシステムが崩れた時、「これは再考するチャンスだ」と思ったと言います。この時期に多くのアーティストが考えたのは、果たしてライブは絶対に必要なものなのかということです。

コロナ禍が少しずつ収束に向かい、制限付きでライブが再開された際、尾崎さんは「この感覚を忘れないでおこう」と強く心に決めたそうです。それは、人数制限された少人数のライブであっても、観客が目の前にいるという事実が持つ価値を再認識したからです。やはり、ライブは単なるパフォーマンスではなく、アーティストと観客が直接交流する場であり、その価値はかけがえのないものだという思いを強く持ったのです。

さらに、尾崎さんはコロナ禍以降、ライブを主戦場とするバンドと、そうではないアーティストの二極化が進むと予測しています。今では、ライブを行わなくても成功しているアーティストも多く存在し、SNSや音楽配信サービスを通じて音楽を広めることができる時代です。それでも、尾崎さんは「生で音楽を聴きに行く」という行為は決して消えないと確信しています。なぜなら、ライブには音楽を聴くだけでなく、アーティストが「人間としての自分」を差し出すという、特別な体験があるからです。

これからの音楽シーンは、ライブを重視するアーティストと、配信や録音を中心とするアーティストの二つの方向にさらに分かれていくでしょう。しかし、尾崎さんのように「ライブこそがアーティストとファンの繋がりを強化する場」と信じて活動を続けるアーティストも多くいるはずです。ライブという形式が持つ価値は、これからも変わらずに支持され続けることでしょう。

まとめ

  • 尾崎世界観さんが無観客ライブで感じた「一方的に差し出す怖さ」は、観客とのやり取りがなく、孤独感を強く感じさせる体験だった。
  • ライブチケットにプレミアがつくことは一見プラスのように思えるが、実際は音楽そのものの価値とは別の「バズる仕掛け」が働き、矛盾が生じている。
  • コロナ禍によってライブの価値が再定義され、尾崎さんは「生のライブ体験」の重要性を再確認し、今後はライブを重視するアーティストとそうでないアーティストがさらに分かれるだろうと予想している。

尾崎世界観さんの視点を通じて、ライブという体験の本質やその価値について考えさせられる記事でした。無観客ライブという特殊な状況や、プレミアムチケットの矛盾点など、普段あまり目にしない裏側が語られ、非常に興味深い内容でしたね。コロナ禍で変わった音楽業界の未来について、これからも注目していきたいところです。

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